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「せせらぎ」誕生ストーリー

社長のドイティンガー・クリスティアン

はじめまして。
熱交換換気システム「せせらぎ」開発者で、ドイツ人のドイティンガー・クリスティアンです。

ドイティンガーが名字で、名前がクリスティアンです。
「ドイティンガーさん」だと長いので、私のことは「ドイ」と呼んでください。

私はいま、住宅に取り付ける熱交換換気システム「せせらぎ」を生産・販売する仕事をしており、社員も、お客様も日本人という環境で、日本語で仕事をしています。

「熱交換換気システム」とは耳慣れない言葉かもしれませんが、私の母国ドイツでは住宅のエコ化が進んでおり、住宅へ標準装備することが定められている機材です。
窓を開けて換気をすると、エアコンで作った快適な温度の空気を外に逃がしてしまいますが、熱交換換気システムを使うことで、外に逃がす温度を最低限にしたまま、換気をすることができます。

「なんで日本に来たの?」「なんで、この仕事をしているの?」と聞かれることが多いので、その理由と「せせらぎ」誕生秘話をお話させていただきます。

父親からの教え

私の父親は機械が大好きで、私が生まれる前は自動車整備士をしていたそうです。
しかも機械だけでなく、大の世話好きで、私が物心ついたときから今現在まで、近所の人の洗濯機を、お金を受け取らずに修理しています。

父はその後転職し、ドイツ空軍の飛行機の整備の仕事をしていたので、私が子供の頃は、父について基地に遊びに行き、コクピットに入らせてもらったりしていました。
「自分でも飛行機を飛ばしたい!」とワクワクしたことを覚えています。

そして私が11歳のころ、父が作ったのは、私たち家族が住むための家。
私たちは、私が生まれる前に父が作った家に住んでいましたが、その家に3つの部屋を増築しました。
私には9歳離れた妹と、13歳離れた弟が居るので、家族が増えて手狭になることを見越して、増築したのかもしれません。
父、父の友達、そして私の5~6人で、仕事の合間や休日に、1年弱かけて作りました。
日本ではあまり聞きませんが、ドイツでは、家を造れる人は、自分で造るのです。

私は、まだ子供で体が小さかったので、ハンマードリルで柱に穴をあけたり、釘を打ったり、レンガを運んだり、という、細かな作業を中心に手伝っていました。
モルタルという、砂やセメント、水をまぜて使うレンガの接着剤のようなものをつくる手伝いもしました。

そして家が完成しました。
広くて、すずしい家。
父たちとコツコツと作った家の住み心地は、すごくよかったです。

庭の芝生も、きれいに張っていたのですが、きれいな庭をみて「ここに、池があったらいいのではないか」と思い、私は、ここに池を作ることを決めちゃいました。

夏休みに親が居ない隙に、最初は小さな穴を掘っていましたが、地面が固く20cmくらいの深さしか掘れませんでした。
2週間くらいかけて頑張って掘ったものの、深さはそのまま、広さだけが増すばかり。

そのうち、庭を掘っていることが親にばれてしまい、「庭を掘るな」と怒られましたが、「池を作りたいんだ」という理由を伝えたら、父も池作りを助けてくれました。
父は重量挙げのドイツ・バイエルン州の元チャンピオンだったので、力が強く、160cmくらいの深さの池を作ることができました。

父に助けてもらいましたが、これが私にとって初めてのものづくり。
自分で池を作れたことが、とても嬉しかったです。

池が完成した後、近所で拾った岩を池の隅に重ねて小さな滝を作り、水草やロータスの花を湖に取りに行って自宅の池に入れました。
そういう飾り付けも楽しく、ものを作ることの楽しさを、父から教わりました。

日本への憧れ

機械オタクの父は、新しい機械が大好きでした。

私が小学生の頃に、父は、日本製のビデオデッキとHi-Fiを購入して家で使っていました。
それに付いていたのが、日本語で書かれた「取り扱い説明書」。

日本語の説明書の方が、ドイツ語の説明書よりも分厚いのです。
もちろん、何が書いてあるのかわかりません。
だから私は思ったのです。
「これが読めたら、もっと細かいこともわかるし、すごいんじゃないか!!!」と。

そしてその頃、将軍(SHOGUN)という、将軍の娘と白人男性が恋に落ちる日本の映画を見る機会があり、映画に出ている将軍の娘をみて「自分も、将軍の娘と結婚したい!!」と思いました。父のビデオでSHOGUNを録画して、何度も繰り返し見ていました。

いつか、日本に行きたい。
私にとって日本という国は、憧れでした。

エンジニアとして、ものづくりの基礎を学ぶ

日本とドイツとは、学校の制度が違います。

私は、日本人が高校に通う16歳~19歳の頃、精密機械工学の職業訓練を受けました。
エンジニアの道を選んだのは、やはり父の影響が大きかったのだと思います。
単純機械は「誰でも出来ることだから、面白くない」と思っていましたし、精度の高いものを扱いたかったので、精密機械を選びました。

職業訓練は、二元制職業教育システム(デュアル・システム)で学びます。
ドイツ以外の国でよくある、学校でのみ訓練を行うのではなく、週に3日企業で実践しながら技術を習得し、並行して週に2日は学校で授業を受けて知識や理論を習得する教育制度です。
私はシーメンスで3年間、機械の企画やプログラミング、工作機械操作、部品制作・組立、機械の新規作成・調節、電気の制御回路制作など、手を動かしてものをつくりながら、エンジニアとしての基礎を学びました。

その後、専門職高校という日本でいうところの普通科の高校を経て、22歳の時にミュンヘン工科大学というノーベル賞受賞者を17人輩出している大学に進学しました。
大学では、手を動かしてものを作ることより、理論的に、精密機械工学・マイクロテクノロジーを学びました。

そのため、精密機械工学について職業訓練と大学で学び、手を動かして作る実務面から理論面まで、一通り身につけました。

そして大学生の時、父のように自分で家を作ってみたくなり、自分でドイツ・ミュンヘンに土地を買い、低燃費住宅を建てました。

ドイツでは1977年に住宅の省エネを配慮するようにと断熱条例が発行され、それ以降、低燃費住宅が標準となっています。
そして断熱条例は、改正・強化が数回行われたので、新しい住宅ほど、より低燃費となっています。

また、日本ではあまり聞きませんが、ドイツでは学生時代に家を建てるのは、珍しい話ではありません。
私の友人も2人、学生時代に家を建てました。
私は、ドイツ・バイエルン州が売っている土地を購入しましたが、自治体から土地を買う場合は、学生のように収入が少ない方が、安く買うことができます。
私は、土地も建築材料を購入する費用もローンで借りましたが、学生なら時間があり、自分で家を建築できるので、学生時代に家を建てるのは合理的なのです。

家の建築方法は、父親や友達が過去に作っていたのを見たり手伝ったりしていたので、概ね把握していました。
そのため私も、自分で家の図面引きからはじめ、作業をしながら出てきた不明点は専門書で調べながら、基本的には自分で大工仕事をしました。
もちろん父も手伝ってくれましたよ。

リビング・ダイニングが広く、2階建てで地下室があるこだわりの家を作りました。
ガレージの下にも地下室を付け、太陽熱温水も付けたし、家の断熱にも配慮しました。
家を造るのは楽しかったのですが、家のインテリアや庭づくりは、意外と時間と費用がかかり大変でした。

自画自賛ですが、子供のころに父と一緒に建てた家より、精度がよくできたと思っています。

その家に数年間住んでいましたが、日本に移り住むことになったため、今現在はドイツ時代の元同僚に家を貸しています。

諦められない日本への想い。

大学卒業後は、PHILIPSに就職したのちシーメンスに転職して、それぞれ半導体検査設備機器のフィールドサポートを行っていました。
職業訓練を卒業して時間ができた19歳の頃から始めた趣味のトライアスロンも楽しく、仕事もプライベートも充実していましたが、やはり、いつかは日本に行きたいと思っていました。

「何もしなければ、何も始まらない」と思い、29歳の時、2つのことをしました。
1つは、日本語の勉強。
日本語はミュンヘンの公民館の講座で習いました。
講座に通い始めた当初は、週に1回のペースで受講していましたが、進みも遅いし、なかなか覚えられないので、途中で通うペースを見直し、講座に毎日通うことにしました。
2~3年の間、毎日通い続けた結果、通っていた生徒の中で、一番日本語が上達しました。

もう1つは、日系企業への転職。
来日するための足がかりがほしくて、東京エレクトロンに転職しました。
半導体生産設備機器のカスタマーサポートを行いましたが、5年勤めても、覚えたての日本語で日本本社とやり取りしたり、日本へ出張に行くことはあっても、日本支社勤務はできませんでした。

そのため、日系企業より、ヨーロッパの企業の方が 日本で勤務できる可能性が高いと判断し、同じく半導体生産設備機器のプロダクトスペシャリストとして、ベルギーのアイコスビジョンシステムズへ転職し、ドイツ、台湾支社勤務を経て、念願だった日本支社での勤務をしました。

しかし、念願だった日本で働けたという喜びも束の間、来日してすぐに日本支社が撤退することが決まりました。

そのとき、ドイツに戻るか、日本に残るかという選択肢がありましたが、日本に残ることに迷いはありませんでした。
子供のころから日本に憧れていたという理由もありますが、それ以外に、私は日本のおかしな所に気が付いてしまったからです。

日本ではマンションに住んでいましたが、日本の夏の室温はすごく暑く、
「なぜだろう、日本とドイツは気温の違いはほぼないはずなのに・・・」
と驚きました。

日本人で気が付いている人は少ないのですが、日本の住宅は、暑さ・寒さ対策に無頓着なのです。

「なぜ日本人は、住宅を良くしないのだろう?」という疑問とともに「日本の住環境改善に貢献したい!」と強く思いました。
だから、迷いはありませんでした。

日本の住環境改善に貢献したい!!

来日して4カ月後に日本支社が撤退して無職になりました。
私は日本に残りたかったので、就職先を探しながら、日本語学校に通いました。
生活は、これまで貯めていた貯金を取り崩しながら過ごしていました。

私は最初、日本の企業に就職しようと思っていましたが、日本語学校の生徒は、日本に留学がしたい人が多く、周りの人たちは皆、進学先を決めて卒業していきました。
そのため進学にも興味がわいて、自分もどこかの学校に通おうかと思い、日本語学校の進路相談の人に相談したり、インターネットで探したりしていました。

15歳で職務訓練を受けてから約20年間、精密機械工学や半導体の仕事に従事していました。
だから技術力には自信がありましたが、これまでの自分の経歴は技術ばかりだったので偏りを感じていたのは事実です。

次は、人とかかわる営業的な仕事がしてみたい。
そしていつかは、人に使われる仕事じゃなくて、自分で仕事がしたい。
あと、これまでは機械と男性ばかりに囲まれていたので、女の子と会える仕事もしたい(笑)
と思っていたので、経営の勉強もできる学校を中心に探していました。

いろいろと探す中で、そのとき、芝浦工業大学の大学院で、日本初の工学マネジメント研究科(MOT)という、技術を生かした経営を目指す学部を見つけました。

「技術と経営の融合って、ちょうどいいし、面白そう!」と感じ、入学を決めました。

大学院は夜間だったので、大学院に通う傍ら、セラミックや陶磁器を扱う日系の老舗商社に勤めました。

ここに入社しようと思った理由は、外資系じゃなく、日系の企業だったから。
せっかく日本に来たのだから、日本の企業文化を知りたかったし、財閥系の明治の時代に創業した古い会社だったので、企業の歴史が深く、人脈もありそうだと感じたからです。
この会社では、産業機械の営業開発や新規商品の企画・販売を行いました。

前職のアイコスビジョンシステムズでは、日本支社に勤めてはいたものの、ドイツ語で仕事をしていたので、日本人ばかりの環境で仕事をしたのは、この会社が初めてでした。
日本人といえば仕事中毒で、ワーカーホリック。
仕事を24時間しているという勝手な想像が私の中にありましたが、実際にはそのような人は見かけず、仕事に没頭したかった私にとっては、やや肩透かしでした。

また、会社ではセラミックを取り扱っていたので、当時の上司に、「日本の住環境改善に貢献したい」という想いとともに、「ドイツ省エネ住宅で標準装備されているセラミックを使ったエコ住宅の機材を会社で取り扱いしたい」と提案しました。
しかし、「日本では、省エネ住宅の機材は売れない」という理由で却下されてしまいました。

会社では、やりたいことができない。
他の人が、日本の住環境改善をできないのであれば、自分がやるしかないと感じました。

青い瞳の社長が、日本で会社設立。

来日するまでは、一貫して技術畑にいましたが、来日後に通った大学院ではMOT(技術を生かした経営)を専攻しており、勤めた日系の老舗商社では、企画や営業を学びました。

そして「日本の住環境を改善したい」という想いと、会社ではそれができないという悔しさを感じていたため、これまで培ってきた技術、学んだ企画・営業・経営を活かして、自分で良い住宅を日本に広めていこうと思い、日本での起業を決意しました。

しかし「省エネ住宅を広めるために起業する」という決意を周りの人に伝えたら、「日本では売れないから止めろ」と猛反対をされました。
ですが、来日から2年半が経過しても消えることが無かった「日本の住環境改善に貢献したい」という想いは、もう抑えられません。

心配してくれることは嬉しかったのですが、最終的には日本という異国の地で、起業することを決め、勤めていた商社を退社し、37歳の時にパッシブエネルギージャパンを設立しました。

最初は、起業前に周りの人から言われたように、まったく売れませんでしたが、展示会などに足しげく参加して、日本人と仲良くなるために覚えた演歌を披露して顔と名前を覚えてもらって……、という地道な営業を繰り返しながら、徐々にお客様を増やしていきました。
独立した当初は1人で仕事をしていましたが、徐々に従業員を増やしていきました。

私が取り扱う断熱や熱交換換気システムに興味を示すのは、やはり北海道や東北地方の、寒い地域に住む方々でしたので、その地域には何度も通いました。

2011年3月11日、東日本大震災のときは、北海道の北見にいました。
とんかつ屋で遅めの昼ご飯をとっていたら、突然部屋が揺れはじめ、とんかつをあげる油も揺れていました。
母国ドイツには地震がないので、生まれてはじめての地震でした。

福島原発事故の影響で、父からも、ドイツ大使館からも、ドイツへ帰国するように言われましたが、「お客さんも友達も日本にいるのだから、自分だけが逃げても仕方がない」と返答し、日本にとどまりました。
震災の後は、慣れない余震と、売れない期間が数カ月続き、苦しいものがありましたが、被災したお客様が前向きに頑張っている姿をみて、自分も頑張らなければと思い、乗り切りました。

会社設立当時は、ドイツからダクトレスの熱交換換気システムを輸入し、日本での独占販売をしていました。
その製品は、輸入したものをそのまま販売することは難しかったため、使いやすく、品質が良くなるように改良をした上で販売していましたが、もっといいものを届けたいと思い、「せせらぎ」を開発し、販売しました。

開発当時はすごく大変でしたが、自分で開発することで、元の製品には無かった結露対策機能をつけたり、換気時の機械音を静かにしたり、そして換気できる量を増やしたりと品質を上げることができ、良いものをお客様へ届けられるようになったので、良かったと思っています。

開発した熱交換換気システムは、“涼しくて心地よい空間で過ごしてほしい”というイメージを伝えるわかりやすい日本語で名前をつけたかったので、「せせらぎ」と命名しました。

「せせらぎ」に使う部品も、品質の関係でどうしても輸入しなければならないファンと蓄熱エレメント、コントローラーを除き、日本国内のメーカーに制作を依頼するようにしました。

日本メーカーは、品質が良い上に納品スピードも早いこと、国内で部品調達できれば円安になった時も為替相場変動の影響を受けにくく値上げを少なくできること、そして私自身が日本で仕事をさせていただく以上、折角なら日本のメーカーにお金を使いたかったので、日本国内のメーカーへ依頼することを選びました。

日本の住環境改善のため、私が行いたいこと

日本では、家を選ぶとき、間取りと見た目、値段だけを見ている人が多く感じますが、本来、最も配慮すべきは、住む人の健康に、直接影響を及ぼす家の温熱環境、空気質、湿度管理、結露防止、カビ対策などの基本性能です。
基本性能の向上のためには、適切な換気が必要になります。

最近は、住宅の気密性が向上していますが、それにより室温が外に漏れにくくなる半面、部屋に湿気がたまりやすくなり、結露やカビが発生しやすくなります。
しかも、気密性が高いのに住宅建材や家具に化学物質が含まれていると、化学物質の室内濃度が高くなり、室内空気が汚染され、そこに住む人の健康に悪影響を与えることがあります。
そのような住宅を「シックハウス」と言います。

日本では、シックハウスの原因となる化学物質の室内濃度を下げるために建築基準法が改正され、住宅に常時換気設備をつけることが義務付けられています。
そのため当社以外にも熱交換換気システムを取り扱う会社はありますが、他のものは、配管がありダクトレスではないものばかりです。
配管が汚れると室内に入る空気も汚れてしまう上に、配管の仕組みが複雑で掃除ができないので、せっかく取り付けても配管にゴミが詰まり、新築から3年くらいで機能しなくなるのです。
設置しても使えないなんて、信じられません。

また、きれいな空気を保つために、窓を開けての換気や、空気清浄機を思い浮かべるかもしれません。
窓を開けて換気するのは、ゴミや、虫、花粉、PM2.5等、家に入れたくないモノが入りやすくなるのみならず、不審者や泥棒が家に入ってくるホームセキュリティ面での不安もあります。
そのため、窓を開けての換気は、お勧めはできません。
しかも、空気清浄機は驚かれることも多いですが、運転中にオゾン(O3)を発生させています。
オゾンは、人体を酸化させ老化を早めるだけでなく、発がんリスクも指摘されています。
空気をきれいにしようとして使っているのに、オゾンのように人体に有害な物質を出して、健康面や美容に悪い影響があるなんて、私には許せません。

そして最も心配しているのは、住宅業界が、安売り主流になっていることです。

家を安く建てるためには、安い材料を使うか、建築にかかわる人件費の削減が必要になります。
それにより効率化につながるのなら良いのですが、誤って必要なものまで省くと、住む人にツケがまわります。
その結果、住み心地が悪くなり、最悪の場合、住む人の健康を害する家になります。

キッチンや収納は家を造った後でも付け替えることは簡単ですが、家の温熱環境、空気質、湿度管理、結露防止、カビ対策などの基本性能に関しては、後から変えようとすると、すごく大変です。
だから、そこを省略してはいけません。
しかも、その基本性能が、家に住む人の健康に、直接影響を及ぼします。
私が開発した熱交換換気システム「せせらぎ」を使うと、住宅の基本性能の向上に貢献することができます。


日本は、世界有数の「モノ作り大国」であり、そして「技術大国」です。
私も子供のころから日本製のビデオデッキを使っていましたし、「made in Japan」製品は、高品質で安全・安心という印象があります。

そのため世界中どこに行っても、日本の車、家電、食をはじめとする日本製品は、当然のように手にすることができますが、「住宅」だけは、日本以外の国で日本製を見かけません。
日本には、皆さんもよくご存知の「大手住宅メーカー」が多数ありますが、残念ながら、日本の住宅は世界基準には満たないというのが、世界からみた評価なのです。

住宅は一生で最も高価な買い物ですが、良き住宅をつくり、住む必要性を教える人が日本には少なく、しかも知識も技術も普及されていないことを、私は心配しています。

家は安らぎの場であり、体を休めるところです。
家が人に与える影響を知ってほしいですし、もっと、安心・安全な住宅を広めたいのです。

家という一生で最も高価な買い物をする前に、ぜひ私にご連絡ください。
必ずあなたのお役にたてる自信があります。
私の持っている、人脈・知識・経験、なんでも使って頂きたい!そう思っています。

私の使命は、住環境に関しての正しい知識を日本中に伝えていくことです。
私が「せせらぎ」を通じてあなたにお伝えしたいのは、“ちゃんとした家に住んでほしい”ということ。
その想いを伝えたくて、私は「せせらぎ」を販売しています。


今後とも、宜しくお願いいたします。

パッシブとは?

パッシブエネルギーの考え方

私たちは地球環境に深い関心を持ち、人間の生活と地球の自然との共存は可能であると信じており、
環境に負荷を掛けずに高いコンフォート(居住性)な家を作ることを目標に努力しています。

パッシブは日本の伝統

1.八百万(やおよろず)の神

日本には八百万、すなわち山、海、森、川、家、火、水、食べ物にまで神々が宿りおわす、 と昔から考えられてきました。家庭では子供の頃からご飯をきれいに食べ、一粒でも残しては罰が当たると諭してきました。 それは、作物の実りの神様を敬い、農家の人たちの努力に感謝し、ひいては安穏な暮らしを願うことなのです。

これをエネルギーに置き換えれば、一番小さい単位であるジュール[J]を米の一粒に例えることができます 。 これからの社会では、アクティブ(電気、ガス、石油などによる積極的利用)なエネルギーの使用は最小限に留め、 自然エネルギーを有効に利活用して、小さなエネルギーでも大事使い、1ジュールづつ丁寧に回収すれば、積もり積もって 大きなエネルギーとなり、CO2の削減に寄与し、経済的にも節約となり、自然と共存する快適な生活につながります。

エネルギーの一番小さい単位であるジュール[J]も粒に例えることができます。

家のドラフト

エネルギーも大事にして毎ジュールづつ丁寧に回収して長い時間使うことでエネルギーの神様である皇大神に感謝を示すことです。

2.パッシブとは物を大事にする考え方

日本人は、昔から社会環境の中で自然と共存する生活をし、衣食住を大切にし、また上手に再利用してきました。
江戸時代までは自然から得られるエネルギーのみを利用し、ごみを出さず、し尿まで肥料として利用する環境的には理想的な 循環社会でした。
この優れた日本の伝統は、これからの地球環境を守る、パッシブ(受身の なエネルギー社会)の基本理念となり、さらにそれを優れた最先端環境技術で裏打ちすることで、 世界から注目される環境先進国になる可能性があります。

3.エネルギーを逃がさない!!

従来住宅のアクティブな冷暖房装置は、室内の快適な温度を、それらの装置を動かすランニング・エネルギーと共に、どんどん室外に逃がし、エネルギーを捨てています。
自動車に例えれば、せっかくエンジンで作った力をブレーキで失っていることと同じです。このブレーキによるエネルギーロスを利用し、再び力に換えるのがハイブリッドカーです。
パッシブエネルギー利用は、まさにハイブリッドカーの原理を住宅に応用したもので、室内温度を逃がさずに、強力な暖冷房装置無しでも快適な室温レベルで保ち、 従来の住宅の10%程度の低いエネルギーで快適な住空間を創造する原理となる優れたこれからの技術です。

もう一つの例はティーポット及び魔法瓶の例えです。
ティーポットはお茶を暖かく保つように連続的熱エネルギーを加える必要があります。 熱源の効率を上げても、ある段階で熱ロスの影響はメインになり効果があんまり実現できません。
それに対して魔法瓶は投入したエネルギーを長い時間を保っています。熱ロスが少ないので少ない熱源で一定の温度を維持することができます。
従って極めて低い冷暖房負荷で快適な空間を創造する原理といえます。

火付き茶瓶

アクティブはティーポットの原理

火なしのティーポット

パッシブは魔法瓶の原理